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家を散らかされると言う“しあわせ”

家を散らかされると言う“しあわせ”

なんで私がこんなに片付けしないといけないの?

2歳の息子は仕方ないとしても、旦那が家を散らかすのは腹が立つ。

妊娠している今、足元に落ちている息子のプラレールは私にとって恐怖だ。

モノが散らかりイライラする日々

みんこ

使い終わったらすぐ片付けてよ!
出しっぱなしにしないでよ!
お片付けは?

私は元々片付けられない汚部屋の住人。

実家では親に全く同じことを言われ続けていたなぁと。

本人に散らかしている意識もないんですよね。

散らかっている感覚もなかった。

そうか、家族もそんな感じだったりする?

気付けば、あれ?私が何で言ってるの?って。

GWには断捨離をしてかなり不要なモノは減った。シンプルな生活に憧れるけれど、子どもが小さいうちは色んな刺激も必要だし、ある程度空間を区切ったうえで散らかされるのも仕方ないなと思う。大人2人になった時にはミニマリストを目指してみるのもありかもしれないが、当面の間は“ゆるまリスト(ゆる~くミニマリスト)”くらいがちょうどいい。

不要なモノに囲まれる必要はないもんね!程よくモノがあって快適に。

ふと、散らかったモノに想いを寄せたら

お風呂場の棚に置かれてある電車。

なぜここに?また散らかして!

なんて思っていたけれど…

息子が大好きなおもちゃだからずっと持っておきたくて、でもお風呂には一緒に入れないから「待っててね」とここに置いて行って忘れたんだな。

玄関に置きっぱなしの靴下。

そういえば最後までどっちにするか迷ってやっとの思いで選んでいったっけ。

ダイニングの上に置かれている開きっぱなしの本。

そこには旦那がさっきまで読んでいた跡がある。今はこんなことに興味があるんだなぁって。

自分以外に人がいないと散らからない。

自分が思うように片付けて、それをキープできればそもそも片付けると言う意識すらなくなるかもしれない。

ふと、全く散らからなくなった家を想像すると、なぜか胸がキュッっとした。

そうなる日には子どもが成長し家から出ていき、旦那もいなくなる時なのかな。

自分以外のモノに囲まれる生活。

それはそこに自分以外の命があるおかげ。

そう思えると、なんだか散らかされたものを見るのも愛おしい。

今の生活が幸せ

散らかったままの生活でいいとは思わない。

でも、散らかっていることにイライラすることが減った。

誰かと一緒に生きるって煩わしいけど、幸せ。

当たり前の毎日が当たり前じゃなくなる時、もっとそう思うのだろう。

誰かに部屋を散らかされるのも、今、ほんの一瞬のことなのかもしれない。

その事にイライラするよりも今日、誰かと一緒に過ごせている毎日に喜びを感じたいなと思う。

-子育て, 育児

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